MIG25強行着陸事件から40年



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今からちょうど40年前の1976年9月6日、ソビエト防空軍ヴィクトル・ベレンコ中尉がアメリカへ亡命するため、当時のソビエト軍最高軍事機密である MIG-25 Foxbat(フォックスバット)戦闘機 に乗って函館空港へ強行着陸しました。(FoxbatはNATOコードネームでソビエト軍の呼称ではない)



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当時連日のトップニュース扱いで、私は子供ながらも大変な事が起きている・・・と思い、事件を伝える新聞記事のスクラップを始めたのです。それがここに掲載している写真類です。子供だったので記事の切り方が雑ですが・・・(・ω・)


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昔の新聞は字が小さい。。







私が調べた限りの事件の流れ、要点をあげます。間違いが分かったらその都度更新します。


(亡命前)

🌑 ベレンコは軍人の家庭に生れ両親は2歳の時に離婚している。その後父親は再婚したが、継母には連れ子がおり、ベレンコはこの継母から差別を受けていた。

🌑 真面目で勤勉だったベレンコは軍入隊後、防空軍の航空学校の教官となっていたが、ここでの軍内部の不正、腐敗ぶりに嫌気が差し最前線の部隊への転属を希望(最前線の部隊ならこんな堕落っぷりは無いだろうと思った)し、極東のチェグエフカ基地へ配属されMIG-25のエリートパイロットとなった。

🌑 ところがこのチェグエフカ基地では不衛生な住環境から赤痢が流行しており、脱走・ストライキなどが多発し反乱寸前であり、教官時代より状況は酷かった。また、裕福な家庭で育った妻とはそりが合わず離婚寸前だった。つまり、亡命前に親とも、自分の家庭もいすれも崩壊していた。

🌑 当時ソビエト軍内部では亡命未遂が頻発しており、上記のような生い立ちと現在の環境からベレンコも密かにアメリカへの亡命計画を考えるようになった。それは命がけの計画であるが、そこまで覚悟するほど様々な状況がベレンコにとって酷すぎた。



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(亡命実行中)

🌑 機体燃料が満タンにされるミサイル演習時をねらい、編隊の最後尾を飛び墜落を装って編隊を離れた。その後ソビエト軍のレーダーから逃れるため低空を飛び続けた。

🌑 MIG-25の航続距離は武装時2000km弱。チェグエフカ基地から亡命予定の北海道千歳基地までは1000km無いので、普通に飛べば十分到達可能だが低空を飛び続けた為燃料消費が激しく、ギリギリになりそうだった。

🌑 燃料消費を抑えるため高度を上げた時に日本の奥尻レーダーサイトに発見され、スクランブルしたF-4のレーダーにも一旦捉えられる。ベレンコは無線を切っていたためレーダーサイトからの呼びかけを聞いていない。

🌑 ベレンコは自衛隊の戦闘機と遭遇し、基地まで誘導してもらおうと思っていたが、遭遇できず千歳基地方面が雲に覆われていたため、また残燃料も残り僅かとなり千歳を諦め周辺の空港を探すため高度を下げた。ここで再びレーダーサイトとF-4のレーダーから消える。

🌑 低空飛行されると地上のレーダーからは物理上捉えずらい。またF-4のレーダーは実用機としては初めて ルックダウン能力 を備えたものだが、まだまだ性能不足だった。

🌑 一度函館空港に着陸を試みるも民間機が離陸中であったためやり直す。その時点でもう燃料はほぼゼロで大きく旋回する余裕は無く急旋回して着陸した。その結果滑走路の中程から着陸したためオーバーランした。

🌑 着陸後近寄ってきた民間人に空へ向けて銃を発砲したのは、軍事機密を守る訓練が染み付いていたのか、空へ向けて(人に向けずに)打つことによって抵抗する気はない。という意思表示とも言われるが真意は不明。


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(亡命後)

🌑 翌日ベレンコは入間基地へ移送された後、警備上都合が良い東京水上警察署に匿われる。ここでアメリカ政府関係者の面談を受け、その後9月9日にはアメリカへ出国する。

🌑 一方MIG-25の機体は通称「ミグ屋」とよばれるアメリカの専門家の協力を得て分解し、米軍の巨人輸送機 C-5Aギャラクシー によって百里基地へ輸送される。ここでアメリカ軍と自衛隊関係者によって詳しく調査される。なお輸送中はソビエト軍の襲撃を想定し自衛隊のF-4が護衛についた。

🌑 ソビエトとのこれ以上の関係悪化を望まない日本政府は、MIG-25の機体を11月15日に日立港にてソビエト貨物船に引き渡す。新聞記事によるとその時は特別な緊張もなく、双方穏やかな雰囲気であったという。

🌑 アメリカ亡命後のベレンコはアメリカ人女性と結婚するがのちに離婚。1995年にはソビエト崩壊後のモスクワを訪問している。航空イベント会社のコンサルタントをしていると言われるが、直近の消息は分からない。


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この事件は自衛隊にも様々な試練がありましたが、そのことはまたの機会に記述してみたいと思います。

MIG-25は迎撃戦闘機として広大なソビエトの領空を守るためできるだけ速く上昇し、できるだけ速く目標を捉える必要があったので、速度と上昇性能には拘ったのでしょう。マッハ3の戦闘機とたまに報道されますが、実用上そこまでではなかったようです。機体の耐久性、パイロットの生命を無視すれば条件によりマッハ3が可能だったというレベル。




またMIG-25についてF-15と比較されることが多いかも知れませんが、まったく性格が違う両機を比較する意味はあまり無いと思います。

MIG-25→アメリカの爆撃機、超音速爆撃機を迎撃するために特化された迎撃戦闘機。
F-15 →格闘性能を重視した(その為空軍からの速度要求は緩かった)制空戦闘機。

1964年に原型機が初飛行したMIG-25と1972年に初飛行したF-15ではそもそも世代が違います。そういう意味ではMIG-25は開発当時に確立していた技術で作成した、非常に斬新な戦闘機だったと思います。1950年代後半から開発がスタートしたのでしょうから、真空管を使っているのは当たり前でしょう。

軽量化の為脱出装着が無かったというのは酷い話ですが。



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